日伯交流の歴史
1800年〜1950年   1951年〜2000年  2001年〜2008年  2009年


1803年
海上漂流中ロシア軍艦に救助された日本人4名(現宮城県出身)が日本へ送還される途中、サンタカタリーナ州フロリアノポリス市に上陸した(12月21日)。ブラジルの土を踏んだ最初の日本人となる。

1889年
7月14日、ブラジル軍艦「アルミランテ・バローゾ」が横浜港に寄港。その帰路に大武和三郎を乗船させる。この年、ブラジルの帝政が崩壊し、共和制が施行される。

1892年
ブラジルは10月5日、日本及び中国からの移民導入を法的に認める法律第97号を公布。

1894年
移住斡旋を専門とする吉佐移民会社がプラド・ジョルドン商会と移民導入について契約した。日本人のブラジル移住を図る初の試みであった。

1895年
日伯通商友好条約締結書 日伯通商友好条約批准書 11月5日、パリにおいて日本側全権・曽禰荒助とブラジル側全権・ガブリエル・アルメイダにより日伯修好通商航海条約が調印される。


1897年
日伯両国が相手国内に公使館を開設。8月23日、リオデジャネイロ州ペトローポリス市に開設された日本公使館に珍田捨巳公使が着任。次いで9月にはブラジルのエンリッケ・バルボーザ公使が東京で着任。

1905年
4月19日、杉村濬公使がブラジルに着任。ミナスジェライス州やサンパウロ州のコーヒー農場を視察し、日本人のブラジル移住を奨励する報告書を作成。この報告書が日本人のブラジル移住開始の決め手となった。

1906年
皇国植民会社の水野龍社長がペルー、チリ、アルゼンチン、そしてブラジルのコーヒー農場を視察旅行。藤崎商会はブラジルへ職員を派遣し、日本製品を販売するブラジル最初の店舗「オ・ジャポン・エン・サンパウロ」を開店。

1907年
皇国植民会社とサンパウロ州農務局は「向こう3年間に日本人3千名を導入する」契約に調印。

1908年
第一回移民船・笠戸丸 4月28日、最初の移民を乗せた笠戸丸が神戸港を出港。158家族、計781名の移民を乗せた笠戸丸は6月18日、サントス港に入港。


1910年
6月28日、第2回移民として日本人計906名を乗せた旅順丸がサントス港に入港。また、この年には帝国巡洋艦「生駒」が日本船としてブラジルを初めて公式訪問。

1915年
日本はサンパウロに総領事館を開設。初代総領事は松村貞雄氏。

1917年
4月、大阪商船が今度はパナマ運河経由の南米航路を開設。また、移民の渡航費用の援助を目的とした海外興業株式会社が設立される。

1923年
横浜駐在のブラジル総領事が関東大震災で死亡。日本政府は国内の被災者に対して海外移住のための資金援助を行う。翌年、移民110名がブラジルへ出発。

1924年
東宮(後に昭和天皇として即位)御成婚記念事業として渡航費の支給を受けた移民267名がカナダ丸に乗ってブラジルへ向かう。7月31日にサントス港到着。

1926年
5月8日、日伯協会が神戸に設立される。

1928年
神戸市に移民宿舎が開設され、後に「移住センター」と改称。

1940年
9月23日、日伯文化交流協定を調印。日本が米州諸国と交わす最初の文化条約となる。

1941年
6月22日、ブエノスアイレス丸は第2次世界大戦前の最後の移住者を乗せ、神戸港を出発。笠戸丸到着(1908年)以来33年間、合計188,986名の日本人移民をブラジルは受け入れた。

1949年
5月、日本通商使節団がブラジルを訪問。

1950年
「飛び魚」と呼ばれた日本の水泳選手団一行が、日伯交流の促進のためブラジルを訪問。



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