ブラジル経済史
統計的に見るブラジル社会 

経済史

1950年代から基幹産業が発達

ブラジルの経済史は、輸出産品が周期的に連続して開発された点が特徴です。具体的には、植民地時代初期の木材パウ・ブラジル(Pau-Brasil)、16、17世紀のサトウキビ、18世紀の貴金属(金と銀)、宝石(ダイヤモンドとエメラルド)、そして、奥地探検後の19世紀から20世紀初頭にかけてのコーヒーなどがあげられます。このような経済サイクルと並行して、小規模農業や牧畜も、国内消費を目的に発展してきました。

19世紀半ばには、小さいながらも工場(主に織物工場)が出現しました。ペドロ2世の時代にはいくつもの新技術が導入され、工業の基盤が固まり、近代的な金融活動が行われるようになりました。しかし、奴隷経済の崩壊(奴隷を維持するより、新規入植者に賃金を払う方が安くついたため)、1888年の奴隷制廃止、そして、1889年の君主制から共和制への移行を機に、ブラジル経済は混乱の時代へと入っていきました。

共和国政府の努力により、財政はかろうじて安定しましたが、1929年の世界恐慌により、再び国の立て直しが急務となりました。最初の工業化の波は、第一次世界大戦時に押し寄せました。しかし、ブラジルが近代的な経済レベルに到達したのは、1930年代以降です。1940年代には、最初の製鉄所が、米国輸出入銀行の融資により、リオ・デ・ジャネイロ州のボルタ・レドンダに建設されました。

1950年代から1970年代にかけては、自動車、石油化学、鉄鋼などの基幹産業が発達しました。また、大規模なインフラ整備プロジェクトに着手し、完了しました。第二次世界大戦後の数十年間、国民総生産(GNP)の平均成長率は世界の中で上位に属し、1974年までの平均成長率は7.4%にも達しました。

1970年代に入り、欧米や日本の銀行が、中南米諸国にこぞって融資しました。特に、ブラジルには、過剰なほどの資金が流れ込みました。この莫大な資本はインフラ投資に向けられ、民間投資が行われない分野には、国営企業が設立されました。この資本流入により、1970年代の2度のオイルショックにもかかわらず、1970年から1980年までの国内総生産量(GDP)の平均成長率は8.5%を記録しました。また、1人当たりの国民所得は、この10年間で4倍になり、1980年には2,200ドルに達しました。


金融危機乗り越え安定成長へ

しかし、1980年代初頭、世界的な金利の急上昇を契機に、中南米諸国は金融危機に陥っていきました。そのためブラジルは厳しい経済調整を強いられ、マイナス成長となりました。資本の流入が突然途絶え国内の投資は鈍化し、対外債務増により赤字は増大、インフレが加速しました。1980年代後半、通貨安定を目的とした一連の緊急対策が実施されました。具体的には、通貨価値修正制度(賃金や契約金額などをインフレ率の上昇に合わせて調整していく政策)の廃止や、物価の全面凍結などが実施されました。

1987年、政府は、債権国との債務繰り延べ協定を締結するまで、外国民間銀行への利払いを一時的に中止しました。これらの政策は期待通りの成果を上げるまでには至りませんでしたが、ブラジルの総生産高は1980年代の終わりまで上昇し続け、債務をカバーできるほど貿易収支がプラスとなりました。

1980年代の金融危機は、「輸入代替」工業化政策(一部の海外製品の購入を禁じ、国内産業を育成する政策)の限界を露呈し、国内経済の開放を促進しました。フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領がイタマール・フランコ政権で大蔵大臣を務めていた1994年経済安定化プログラム「レアル・プラン」が実施され、経済は再び安定と成長への道に戻ることになりました。

1996年にはインフレとの戦いで大きな成果を上げ、1995年のインフレ率20%から1996年末には、9.5%にまで減少しました。この成果は、価格決定の自由を認めたことや、貿易開放政策などの様々なプロセスが実を結んだ結果生まれてきたものです。1996年の年間物価上昇率は1950年代以来経験したことのないほどの低い数字を記録しました。また、1997年のインフレ率は7%に収まりました。

インフレとの戦いは経済成長を犠牲にしているのではありません。統計資料をみても、2000年における国内総生産(GDP)成長率は約4.6%、金額は5,954億ドル(国民1人あたり3,584ドル)に達しました。また、2000年の経済成長率は4.46%となりました。

2006年に1.06兆ドルの国内総生産(GDP)を計上したブラジル経済はダイナミックで多様であます。2006年に工業部門はGDPの30.95%を担い、農業は5.1%、サービス業は64%を担いました。ブラジル経済のダイナミズムは海外貿易と輸出の実績に繁栄します。2002〜2007年にブラジルの貿易収支は337億ドルの黒字を計上しました。2007年に輸出は1606億ドルに達しました。輸出の52%以上は加工品によります。ブラジル産品の主な輸出先は米国(253億ドル)、アルゼンチン(144億ドル)、中国(107億ドル)、オランダ(88億ドル)、ドイツ(72億ドル)であります。


自由貿易でも着々と成果

経済情勢が好転した結果、所得分布の問題解決に大きな進展が見られ、国民生活の質的改善も図られました。1993年の貧困層人口は4,300万人でしたが、1995年にはその数が1,300万人に減少しています。また、1993年から1995年の間に国民の平均所得は実質ベースで28%増加しました。これらの成果が社会全体に好影響をもたらしたことこそ、間違いなく、レアル・プランの最も重要な点です。国内市場は拡大を続けており、その潜在能力を発揮しつつあると言えるでしょう。この現象は経済に大きくプラスとなる効果をもたらし、いわゆる外国資本に新しい局面を見せました。1996年の外国系企業による直接投資額の合計は約99億ドルに達しました。

漸くすれば、1996年には経済安定化政策が功を奏して、多くの問題に進展が見られ、様々な分野で驚異的な成果が上がりました。しかし政府が安定経済を定着させるために未だ多くの課題が存在しています。国家が経済に関与する部分を縮小しつつ、政府の持てる力を保健、教育、社会福祉といった社会政策に反映させるため、政府は既に財政、年金、行政などの改革案を議会に提出しています。

ブラジルの輸出は2001年、580億ドルに達し、工業製品、主に航空機、自動車、通信機械などがその大部分を占めました。政府は輸出振興策の優先項目として、食品(果物、特殊コーヒー、カシャッサ)、食肉、履物、皮革、家具、繊維製品、アパレル、化粧品、装飾タイル、自動車部品、機械、観光を挙げています。ブラジル製品の主な輸出先は欧州連合(輸出全体の27%)、アメリカ(同24%)、そしてアジア諸国(同11%)です。ブラジルでは国際経済への進出を深めるため、外交面において様々なイニシアチブをとっています。

1992年に32億ドル台であった外国直接投資は1997年には187億ドルに、そして2000年には開発途上国では最大の320億ドルに増えました。外国直接投資のかなりの部分が民営化プログラムに振り向けられ、電気や電信など経済の重要部門における旧国家独占に終止符を打ちました。


メルコスル

南米南部共同市場(メルコスル)は、1991年に関税統合政策を用いて、欧州・アジア・北米諸国との国際関係においてより重要な役割を果たせるような南米経済ブロックを創設することを目的として、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイにより設立されました。

このブロックで製造される製品の約90%が輸入関税なしで域内で取引されます。また域外に対して85%の品目について共通関税率(0〜20%)を適用するほか、産業経済政策の共同歩調に取り組んでいます。1990年に域内貿易はブラジルの交易額がわずか7%でしたが、1990年から1999年にかけて、ブラジルのメルコスル諸国との貿易額は271%増大し、他の諸国との貿易額も73%増となりました。



統計的に見るブラジル社会

20世紀が経過するに従ってブラジルの人口は老化したと言える。国民の14歳以下の割合が43%から34%に落ちた一方、60歳以上の割合は4%から8%に増加した。平均寿命は45歳から77歳に延びた。識字率は50%から77%に改善した。より多くの労働力が供給された結果、就職希望者を吸収するために毎年160万の新しい職場を作り出す必要性があった。

2006年にブラジルはエネルギー消費量の45.1%を水力やバイオマスの様な再生可能な供給源で賄った。深海油田の石油資源探査の結果としてブラジルは2006年4月に原油の自給を達成した。ブラジルは世界最大の鉄輸出国で有ると同時に世界有数の鋼輸出国でもある。ブラジルのその他の主要な原料としては石油化学製品、アルミニウム、非鉄金属、肥料、セメント等がある。国内で生産する主要な加工品としては航空機、電機電子製品、繊維、服飾品、履物等がある。

植民地時代の当初から経済の担い手だった農業は今でも重要な役割を果たし、世界経済との架け橋となっている。農業経済は輸出志向で生産に奴隷労働力に依存した単作の大規模事業に基づいた。十六世紀のサトウキビ栽培周期の時代からブラジル経済は農業の景況に常に左右された。サトウキビ栽培周期から綿花、カカオ、ゴム、コーヒー等の栽培周期が続いた。

1970年代には輸出用農業産品が大幅に多様化した。大豆がコーヒー、カカオ、砂糖等のブラジルの伝統的な輸出用農業産品を上回った。半加工または加工状態の農業産品の量、価値、多様性が大幅に伸びた。これは加工農産品を優遇する政府の奨励策によるものである。

1980年代の農産品はブラジル経済にとって引き続き重要な役割を果たし続けたが、過去に見られたような砂糖、コーヒー、ゴム等の単一作物の絶対支配は無い。優遇税制と優先的な融資の適用によって連邦政府は農業分野の効率化を図った。それ以外にも農村地域へ各種の便益を適用する事によって農村住民の都市部への流出を防止した。更には合理的な農地改革の実施、以前は収益性の悪かった小規模農家への奨励策、そして一般的には大規模都市圏から離れた地域に於ける生活の向上策が功を奏したといえる。

1980〜1992年に農業生産の伸び(38%)は人口増加(26%)を上回った。結果としてブラジル農業の生産は国内市場を賄うだけではなく輸出も志向する様になった。

2006年にブラジルは世界のアグリビジネス業界で際立った存在感を占める様になった。燃料用アルコール、コーヒー、柑橘ジュースの世界最大の生産国かつ輸出国となった。更には大豆関連製品およびタバコの世界最大の輸出国でもある。最近数十年間に亘って農産物を多様化するために実施した取り組みは驚くべき結果をもたらした。穀物の生産は着実に増加しており、特に小麦、トウモロコシ、大豆の伸びが顕著である。

ゴム(過去に於いてブラジルの最重要輸出品も下った時期もある)、ブラジルナッツ、カシューナッツ、ワックス類、繊維類等の採取産品は現在では栽培品目と化しており、以前のように自然界の樹木から採取されることは無い。多様な気候の結果としてブラジルはあらゆる種類の果物を生産しており、北部の熱帯性果物(各種のナッツ類からアボカド類)から南部の温帯地域の柑橘類、ブドウ類等に及んでいる。

2005年にブラジルは11億ドルの柑橘ジュースを輸出した。また、ブラジルは牛肉に関しては世界第二位の生産国であり、世界最大の輸出国である。2005年のデータによればブラジルは世界の鶏肉輸出漁の40%を担っており、生産に関しては世界第三位を占めている。豚肉に関しては生産、輸出共に世界第4位を占めている。

21世紀の初頭にブラジルは世界第十位の規模を有している。ブラジルの経済活動は発展途上国を上回っている。輸出はGDPの13%を占め、工業製品は約31%を占めており、これ等の数値は幾つかの先進国と肩を並べている。




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