音楽

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ポップス

ブラジルの音楽は、様々な文化を取り込み、呑み込み、反芻することにかけては、その驚異的な能力を持ってして、音楽界のもっともエネルギッシュで挑発的、かつ剌激的な鏡だろう。(加えて、私が見たところ、このミレニアムでブラジルが文明歴史に対して行ったもっとも独創的な貢献だ)ブラジリアンリズムとして、もっとも知られているボサノヴァは、50年代に全盛期を迎えたサンバ・カンソォンに、ある意味で挑発されて誕生したといえる。

ボサノヴァにとって、最も重要な存在であるジョアン・ジルベルトは、バイーア州出身のヴィオラォン(7弦ギター)奏者で、彼のヴィオラォンには、故郷の地が育んだ機敏や邪心、さらには仇っぽさまでもが潜んでいた。ボサノヴァのリズムを創造したのはその彼である。その変わったヴィオラォンの演奏法で、サンバのリズムにゆったりとした穏やかな雰囲気を加味したのであった。ボサノヴァに対して辛辣だった者たちからは、それは“水で薄められた”ようなサンバと揶揄された演奏法だった。


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クラシック音楽
ブラジルの音楽というと、サンバやボサノバといったイメージが一般に強いが、実は500年にわたる「クラシック」音楽の歴史がある。

ブラジルと西洋音楽との出会いは、ポルトガル人によって発見された16世紀に遡る。
17世紀末にミナスジェライス州で金鉱が発見されると、この地の繁栄は音楽にまで及び、聖歌隊やオーケストラが各町に存在するほどになった。

1808年、ポルトガル王室が当時の首都リオデジャネイロに入り、王室礼拝堂がつくられた。その初代音楽監督兼楽長に任命されたのは、ジョゼ・マウリシオ・ヌネス・ガルシア神父である。彼は植民地時代を代表する作曲家で、宗教曲を400曲以上も書いた。
<br>1822年にブラジル「帝国」が独立すると、イタリア・オペラが奨励された。イタリアに留学したカルロス・ゴメスによるオペラ「グアラニー族」は、1870年ミラノのスカラ座にて初演された折には、かのヴェルディさえも彼の才能に感嘆したといわれる。またエンリーキ・オズヴァウドによるピアノ曲「雪が降る」は、1902年にパリで行なわれた『フィガロ』紙主催の作曲コンクールで第1位を獲得した。

20世紀初頭からは、ブラジル独自のものを目指す民族主義の動きが、音楽の分野でも高まった。その筆頭をなすのは、エイトール・ヴィラ=ロボスである。「フォルクローレ、それは私だ」と言い切ったヴィラ=ロボスの作品は「ブラジル風バッハ」や「ショーロ集」など1000曲以上に及ぶあらゆるジャンルからなる。ワルツやポルカ、そして、タンゴ・ブラジレイロで知られる「ブラジルのショパン」、エルネスト・ナザレーも忘れるわけにはいかない!
<br>60年代以降からは、ブラジル現代作品の普及に向けたイベントが国内各地で開催され、ビエンナーレブラジル現代音楽祭をはじめ、今日まで続いている。
ブラジル・クラシック音楽は、500年を経た今、さらに未来へ向かって進化し続けている。


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Texts of Brazil - ブラジルポピュラーミュージック


ブラジルポプユラーミュージック(MPB)音楽を紹介する冊子。
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Texts of Brazil - ブラジルクラシックミュージック


ブラジルクラシック音楽を紹介するCD付冊子。

お問い合わせはブラジル大使館文化部
sediv@brasemb.or.jp

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「トロピカリア」
カルロス・カラード 著 前田和子 訳

ブラジルに沸き起こった革命的音楽の軌跡
カタエータ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ナラ・レオン……、
ボサノヴァ次世代による「トロリカリズモ」ムーブメントのすべて
何かしら、新しい文化運動のようなものが生まれつつある。この運動を何と呼ぼうか。まだ名前が無い。トロピカル国家ブラジルの実態を暴き出す運動だ、思いきり悪趣味な名前をつけてやろう。……次々飛び出すダサい名前に散々吹き出したあげく、この運動を「トロピカリズモ」と呼ぶことにした。(本文抜粋)
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「白いインディオの想い出」
ヴィラ=ロボスの生涯と作品

鈴木裕子 訳・演奏

ブラジルが生んだ世界的作曲家の全貌をはじめて日本に紹介。
直弟子のピアニストが、作品論やさまざまな証言などを交え、その魅力を余すところなく描き出す。ブラジル・クラシックの独特の美しさ、楽しさを伝える鈴木裕子によるピアノ演奏CDを付す。


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